2011年12月31日土曜日

2011.12.31


 2011年も残り時間となりました。今年を振り返って総括してみようかと思います。おっと、毎度申し遅れております、またまた山中です。
 もう、ここにはおそらく私しか書かないので来年からはもう名乗るのを辞めます。
 TVショーでは、震災関連のニュース特番などがしきりに放送されています。きっと、2011年のことは2011年で終わりにしたいのでしょう、きっと。このまま今回の震災が浮き上がらせた現代日本の歪みも震災自体とともになし崩し的に流れていってしまったら、(おそらくそうなるけど)もうこの国は終わってしまう。早くこの国から脱出しなければ。
 こんな世間のインテリの方が言っているようなことを言っても仕方が無いのですが、ちょっとまじめなこと言ってみたい年頃なのでご容赦下さい。
 ただし、誤解を恐れずに申し上げると、私は学生の時分から震災と言わず、社会に対して大きく作用する抗いようの無いような強大な力とそれに伴う大きな変化を心のどこかで希求していました。革命などというものは起りそうも無いこの国において、大きな変化はそういった力によってしか起こりえないとどこかで感じていたからです。
 もちろん、震災で被災された方、亡くなられた方に対しては心からお悔やみ申し上げますが、そういった方の犠牲を無駄にしてはならないという気持ちでおります。
 ただ、震災前から、今の日本にどうしようもない閉塞感を感じ、自分もそれを打開する力の一端を担いたいと思っていましたし、その手段として私はファッションを選択しました。
 そして今年、私たちは小さな、小さな一歩を踏み出しました。ここでは書きませんが、閉塞しきったように見える日本のファッション界において、新しさとは何かを考え、あの時点での答えを展示会で出しました。
 自分達としては満足のいくものではありませんでしたが、ただ、新しさといういみでは、1mmはあったと自負しています。
 世の中に蔓延するクソ面白くないファッションに対して、ほんのわずかなカウンターにはなったと思います。ただ、カウンターはきっちり当てていかなければなりません。そのためにカウンターの威力と精度をあげなくてはなりません。これは来年の課題です。
 震災とともに今年の大きな出来事として、中東、アフリカで起った独裁政権を打破した革命の連鎖です。インターネットの普及が主な要因としてあげられており、それは間違いない事実ですが、それはあくまでも手段の問題です。
その根本には、変化を求めた一人一人の力があったはずです。
 ダーウィンは、『最も強い者が生き延びるのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残るのは、変化出来る者である』と言っています。
 現状を分析し、変化を求め、環境に適用する事でのみ、新しいものが見えるのだと思います。
 菊地成孔は2011年の震災後のこの状況をalter warと呼び、不謹慎ながら
「非常に充実した、爽快で戦闘的な気分になった」と言っています。そして、「生きる事が、死の自覚によってのみ燃え上がるというのは知っている」とも。
 私は、これを震災前には、母が他界した際に感じました。そして、今年再びそれを感じました。
 来年は今年あの日以来私の中で止まったようだった時計の針を進めていく年にしなければならないと思います。
 あらゆる意味で正念場は、これからです。
 2011年お世話になりました皆様にこの場で心から御礼申し上げます。そして、2012年が一人でも多くの人にとって、そして私達にとって実りの多い年となりますように。それでは、また新年。

追記
現在私の携帯が死んでおりますので、もし何かご連絡の際は、ドメインを@i.softbank.jpにして送ってください。

2011年12月27日火曜日

重森三玲とファッションの軽さについて


 今年の総括はまだ若干早いですが、最近更新しておらず、そろそろ誰も読まなくなったかと思いますのでまた更新してみようかと。
 どうも、皆さんこんばんは。山中です。みなさーん、今日もつぶやいてますかー?笑
 更新していない間、当欄について、「長いから最後まで読めない」、「長いのはいいけど、改行や行間を工夫した方がいい」などと言ったご意見、ご感想を頂きました。ただ、まあ内容については大した反応もないし全部無視してやろうと固く、固く決意した次第です。
 そんなことはさておき、最近あった事といえば、約2年弱お世話になった場所を煙突から出入りするサンタさんのごとく、誰にも気づかれることなくこっそり脱出し、その感傷に浸る間もなくクリスマス突入、そのクリスマスも開けてみたら近年まれにみる上出来なクリスマスを過ごし、気づけば今年も残りわずかな感じです。
 出会いがあれば別れがあるのは世の常と申しますか、もはやクリシェですが、出会いも良いですが、別れも悪くないですね。まあ無常観てやつです。別れがある事で、色々な事に気づかされますから、長い目で見たら別れもまたよしと言ったところでしょうか。あんまりこういうこと書くとロマンチストだと思われてもしゃくだし、粋じゃないのでこの辺でやめておきますが、今回は、最近観た『重森三玲展』について少々書きます。
 この展示は青山のワタリウム美術館で開催されているもので、重森三玲の手がけた庭園が会場内に再現されていたり、会場音楽を細野晴臣が手がけていたりとなかなか期待値が高めだったのですが、展示内容は期待通りというかまあ普通に良かった感じですが、重森三玲の作り出す日本庭園の美しさや潔さ、革新性など、久しぶりに、何かを観てその美しさにため息しか出ないような感覚を経験しました。現在言われているようなジャパンクールも悪くはないですが(大体はダメだけど)、そんな華奢で表面的なものを一瞬で吹き飛ばし、これぞ日本的美意識だと感じたわけです。
 重森三玲は、華道、書道、茶道などに精通し、独自の美意識で日本庭園を創作した人物で、イサム ノグチなどとも親交があった人物です。
 今回感じたのは、作品の素晴らしさもさることながら、彼の作品や言葉から感じる事が出来る思想、哲学の素晴らしさです。行って頂ければ分かるのであまり具体的には書きませんが、私たちはファッションを表現手段としていますので、ファッションとの関係について書きます。
 私はファッションには、本質的に、良くも悪くも「軽さ」といものが存在していると思っています。この「軽さ」ゆえにいわゆる時代を映す鏡にもなり得ますし、表現手段としては文字通り軽んじられる要因にもなっているのではないかと思います。表現手段として軽んじられているというのは、音楽やアートと同列で語られることがほとんどない、学問として体系的な教育がなされていないということです。アートとファッション、音楽とファッションの関係性については興味深い考察もありますが、アート、音楽のように単体での批評は最近こそ機運が高まっているとはいえ、それもこれまでほとんど行われてこなかったいうことの裏返しでしょう。特に日本においてはその傾向が強いように感じており、日本の国立美術大学つまり東京芸大にはファッションを専攻する学部学科が存在しないことは、その最たる例といえるでしょう。
 人にとって一番身近で手軽な自己表現手段であり、それ故の存在としての軽さは、ファッションの背負った宿命です。これは他の分野とは分かち合う事が出来ない問題かもしれません。
 しかし、だからこそ私は、ファッションに携わるものとして、重森三玲が日本庭園や茶室に対して行ったように、徹底的且つ真摯にそうした問題と向き合い、確固たる哲学と思想を持って表現していかなければならないのだと思います。そして、そのようにやってきた者だけが最後まで残るのだと信じています。
 念のため言っておきますが、最後は気合いだとか、思いが強ければ必ず伝わるなどと言った陳腐な精神論とかじゃないからね?笑
 今回鑑賞した、重森三玲の創作した日本庭園には、彼の全てがあった。彼の言葉にもあるように、そこに立てられていた石は重森三玲自身だと感じることが出来るのです。
 『感じる服 考える服〜』より数段おすすめですので、よかったら是非。私は、彼の著作を、餞別に頂いた菊地成孔・大谷能生著の『憂鬱と官能〜』と共に正月休みの課題図書にしようと思います。
 今回はそんなに長くなかったからみんな最後まで読めたかな〜?笑
それでは、最後までお付き合いありがとうございました。また次回の更新で。(年内にもう一回くらい更新する予定です。)

2011年11月22日火曜日

オペラシティギャラリー〜デザイナーズビレッジ


 こんばんは、leucadendronの長身でシュッとした男の方こと、イケメンだけど暗くて理屈っぽくてしつこいやつこと、でも話したら意外といい奴こと、もういいや、どうも、山中だよ。みんな元気?笑
 先週から今週にかけて、私たちの周り(一つは間接的、もう一つは直接的)な展示がありまして、良くも悪くも私たちを揺さぶるものでした。
 具体的に何があったかと言いますと、タイトルにもあります通り、一つは、初台のオペラシティギャラリーで行われている、『感じる服考える服 東京ファッションの現在形』展、もう一つは、台東区デザイナーズビレッジで行われた、ここのがっこうの展示企画『work in progress』です。この二つの展示に関して、文字通り「work in progress」な私が、「感じた」こと「考え」てみようと思います。
 以下で書くことはごくごく個人的な感想なのでご了承下さい。また、感情的なクレーマー体質で、物事を考える前に反射的に指が動いてツイートしてしまう幼児退行にドライブが効き過ぎている方、参加ブランドの中に、溢れんばかりの母性のような愛情を注いでいるブランドがある方、または、そのブランドの関係者、この企画の関係者の方は、悪いことは言いませんからここから先は読まないでください。笑(書きながら、何人か顔が浮かんでいます。)
 まず、『感じる服、考える服』展ですが、総評としては、私たちの評価は、「正直、期待はずれ」と言った内容でした。(もちろんご覧になった方によって、様々な見方があり、一概には言えない部分は多々あるとは思いますが。)これまで、いくつかのファッションについての展示を見てきましたが、その中でも屈指の退屈さでした。
 最初に断っておきますと、今回の展示を観て、それが私たちとって「よくない」と映った最大の原因はキュレーションのまずさにあると私たちは感じています。むしろ、参加ブランドはあのキュレーションや空間構成によって限られたスペースでそれぞれ健闘していたのではないでしょうか。(健闘及ばずというブランドが少なくなかったのもまた事実ですが。)
まず、現代の東京ファッションを語るという意味で、ベストなチョイスであるとは到底思えない参加ブランドの選択。(具体的にどのブランドが必要で、どのブランドが不必要であったかは宴席でしか言いませんが。というかとても言えない。笑)
詳しい事情は、興味も情報も持ち合わせていないので書きませんが、いくつかのブランドに参加オファーを断られたのではないかと邪推してしまいました。
 あれがリアルなTOKYOを表現する為の選択だとは私たちにはとても思えません。参加ブランドのチョイスがベストであったのかは定かではありませんし、あれがベストだったとしても、一般的には、名の通ったと思われるブランドが一堂に会してこの程度かという印象は拭えません。
 そして、参加ブランドの多くが消化不良、不全感を抱えているのではないかと思ってしまう空間構成を含めた展示方法。これは、普通に歩いていたら頭を打ってしまう程低く設置された梁によって、空間を間仕切り、各ブランドの展示スペースを確保するという中村竜二氏による空間構成もさることながら、会場がオペラシティミュージアムという今回の企画をするには広くもなく、かといって、狭くもないという中途半端な広さの(行かれたことがある方ならお分かりかと思いますが、通常の個展であれば何ら問題ないと思われる広さです。)スペースであのブランド数を同時に展示するという企画自体にやや窮屈さを感じるところが否めないでしょう。過去の中村氏の作品を見ても今回なぜあのような手法を用いたのか疑問が残ります。目新しさに走り過ぎて観る側は置いてけぼりと言った感じ。新しければ何でもいいといわけではありません。
 悪口(私は批評のつもりです)はいくら言ってもキリがありませんし、何より私の人格が問われるのでこの辺にして、健闘していたのではないかと思われるブランドもいくつかピックアップしてみると、writtenafterwordskeisuke kandaTheatre Productsと言ったところでしょうか。各論も書きたいのですが、細かいところまで書いていると誰にも読まれないよう長文になってしまいますので、割愛しますが、上記の三つのブランドに関しては、(個人的な好みとは別次元において)あの十分とは到底思えない各スペースにおいて、それぞれ「らしさ」が出ており、また、直接的ではないファッション表現という部分で、普段ファッションにあまり興味をお持ちでない方に対しても、また、ファッションを愛していらっしゃる方に対しても、何らかの訴求力を有していたのではないかと思います。これを両立させることはとても困難なことです。名前が挙がらなかったブランドの中でもそこそこ良かったものと、全然ダメものがありますが、これは自粛します。皆さんが、自分の目で見て、「感じ」て「考え」て下さい。これはファッションに携わろうとする私たちからのお願いです。善くも悪くも、ファッションに興味を持ってもらうということのみが、この展示の狙いであるならば(そんなわけないが)、成功と言えるのかもしれません。
 これ以上長くなるともう誰も読まないのではないかと思いますが、ここまできたら書かざるを得ませんので、このまま書きます。長めの文章を読むというのも退行に対抗するための有効な手段ですよ。駄洒落ですけどね。ただ一つ、ファッションの素晴らしさを感じられなかった点が残念で仕方なかったです。
 もう一つの『ここのがっこう work in progress』の方はと言いますと、自分達も展示に参加しているのですが、展示内容に関して詳細に記述するのは控えさせて頂きます。と言うのも、文字通り、制作の過程を外部の人に公開するという性格のものであると同時に、普段ここのがっこうが行われている台東区のデザイナーズビレッジの一般公開に合わせて開催されたという性格もあるので、作品についてあーだこーだ言う必要がないと思っています。ただ、一般的な学校の、例えば文化服装学院の学園祭におけるクラス展示よりははるかに面白いとは思います。
 ですので、ここでは『work in progress』の開催中に行われた、トークイベントについて触れてみようかと思います。
 トークイベントの参加メンバーは、writtenafterwordsデザイナーの山懸さん、mikio sakabeデザイナーの坂部さん、アーティスト集団chimpomの卯城さん、chaos launge代表の黒瀬さんと、謎の文筆家のhouさんという面々。
 開始前の予想としては、日本の学校教育(特にアートやファッションなどの分野においての)の課題と、それに対する対策と言った感じかと思っていましたが、教育については触れられず、アートとファッションの関係性と今後の展開というテーマで進行されていきました。
 全体的には、予定調和的というか、「まあそうだよね」的な議論が行われ、やや肩すかしを食らった感が否めませんでした。卯城さんは予定調和を必死に排除しようとしていましたが、ファッション関係者だけではなく、一般向けとういか、聴いている人があまり限定的では無かったので当然といえば当然の結果なのでしょうが。私としては、彼らのオフトークに興味があります。
 トークイベント全体のテーマでもあったアートとファッションの関係性などについては、私たちも日頃から考えを巡らせているところでもありますし、もっと突っ込んだ議論の必要性を感じています。朝まで生テレビとか専門用語とか分からずとも、観ていて面白いですし、分かりやすいものだけがいいとは限りませんから。
 また、トークイベントの中でも触れられていましたが、業界の縛りや柵を排して、より根本的な関わり方を模索して、新たな展開を示すことは日本のファッションの停滞に対する有効な手段になり得ると思われますし、私たちが目指す方向の一つでもあります。これについては、次回の展示会でその一端をお見せ出来るようにしたいと思ってんだよね。
 ここまで全文を読んでくれた人とは仲良くなれる気がします。ありがとうございました。ではでは、また次回の更新で。おやすみなさい。

2011年11月7日月曜日

展示会総括

 昨日も当欄で申し上げましたが、展示会にお越し頂きました総ての皆様に改めて心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
 撤収作業も考えていたより早く終了し、現在、安堵感、心地よい疲労感とともに頂いたお酒で祝杯をあげており、気恥ずかしさとアルコールで顔を赤らめながらこのブログを更新しております。
 現在世田谷区の我が家は頂いたお土産によって、さながらお菓子の家のような状態になっております。当分おやつに困ることはないでしょう。こんなにおやつを貰えるならずっと展示会していたいくらいです。
 すいません、今回も申し遅れました、こんばんは、森進一です。失敬。Leucadendronのブログ担当山中です。ほろよい気分で今回の展示会の総括などしてみようかなと。
 私たちにとっての初めての展示会、Leucadendron Presents "Experimentation" #0 -ミッシングセブンの幽体離脱地下研究所 前編-を無事?と言いますか、なんとか終えまして、色々と感じることがありました。
 Experimentationの文字通り、少々実験的というか、いわゆるファッションブランドの展示会という形式のものではなかったので、想像との違いに戸惑いや違和感を感じられた方も少なからずいらっしゃったのではないでしょうか。またそれとともに、想像とのギャップに、かえって、好意的な感想を抱かれた方もこれまたいらっしゃったのではないかと思われます。いずれにせよ、私たちの世界観、今回の展示のテーマである幽体離脱の空気感を、そして後編、ひいては今後の私たちの活動に対しての期待感を少しでも感じていただければ、これ幸い。という思いでおります。
 何かを表現して、それを公にする時には、必ず賛否両方の意見や感想が存在すると思われますし、至極当然なことだと思います。また、その賛否両論が苛烈であればあるほど発表した側としては喜ばしいことでもあります。ご覧頂いた後に、その人の中に何も残らないというのが一番悲しく辛いことではないでしょうか。
 実際今回の展示に関して、好意的な意見が多かったというのが実感ですが、やはり、否定的な意見があったのも事実です。特に否定的な意見に対しては、正論として受け止めているとともに、私たちの意図が理解されるに至らなかったということに対して、反省とともに反論があることも事実です。もちろん今回の展示会について、100%満足しているわけはなく、数多くの課題が発見出来たことも収穫の一つです。
 私個人的には、観たり、聴いたりしたファッションやアート、音楽などについて議論や対話することが好きという面倒くさい性格であるということもあり、ご覧頂いた後に賛否両論真っ二つの議論が巻き起こるようなもの、ファッションの分野だけではなく、世の中に何かを問いかけるようなもの、波風を立てるようなものを創造していきたいと常々思っております。
 今回の展示がお越し頂いた皆様の中にどれだけの痕跡を残せたかは未知数ではありまが、展示会場で直接感じた反応や、観賞後にtwitterやfacebook等のメディアを通じた感想は可能な限り目を通し、全ての意見を真摯に受け止めて今後の活動のモチベーションにさせて頂きます。ご覧頂いた感想などどのような感想でも結構ですので、お会い出来る方は直接、それが難しいかたは、メールアドレスを公開しておりますので、気軽にご連絡頂ければと思います。
 会場にて、ご説明させて頂いたように、今後(今回が前編で次回が後編)の展開としては、幽体離脱を疑似体験できる装置(視聴覚交換マシーンといいます)を制作しておられるアーティストの方と連携して、体験型のアートインスタレーションと共に服を発表、試着して頂けるような形に発展させていければと考えております。容易ではないとは思いますが、ファッションにさほど興味をお持ちでない方にも、楽しんで頂きながら、ファッションに興味を持って頂けると確信しておりますので、実現させます。
 そしてなにより、今回の展示にお越し頂いた方も、頂けなかった方も次回の後編に期待していてください。今回提示させて頂いた世界観を発展させ、その世界観を反映した服をお目にかけたいと思っております。乞うご期待!という感じで締めくくらさせて頂きます。
 最後に勢井から一言頂きたいと思います。ではどうぞ。
 ぽんぽこぽんぽんぽこぽんぽーん!

2011年11月6日日曜日

途中経過など少々。

11月3日からスタートしておりました、我々leucadendronの初展示会、「ミッシングセブンの幽体離脱地下研究所 前編」ですが、いよいよ明日が最終日となりました。
既にお越し頂いた皆様は本当にありがとうございました。お土産までいただいてしまったり恐縮です。途中経過といいながら明日で最後です。
展示会があることを知りながらもまだお越しいただいていない方、なんででしょうか、早く来てください。首がのびすぎてキリンにでもなってしまいそうです。キリンさんは好きですが、でもぞうさんのほうがもっと好きです。失礼。
私たちの総括は全てが終わってから、改めて書きますが、会場で直接頂いたお言葉や、お越し頂いた方のネット上の感想などをまとめると、概ね良い反応を頂けているのではないかと感じています。もちろん、厳しい感想もありましたが、何か反応があるというのはそれだけで良いことだと考えておりますので、軽蔑し、罵倒していただいても結構です。ウソです。褒めてください。笑 これまたウソです。
とにかく、何か感じてリアクションしていただければ幸いです。
では、また近いうちに。

2011年9月30日金曜日

CM

この度、11月3〜7日に行われるLeucadendronの処女展示会のフライヤーが完成したので本邦初公開します。本邦だけじゃもったいないので風船にくくりつけて北朝鮮とかに飛ばしてみようと思っています。見たらちゃんと来てね。 




会期:11月3日〜7日 各日 正午〜夜8時(最終日は午後3時まで)
場所は高円寺ギャラリーです。
高円寺ギャラリーはAMP cafeとKOENJI HIGHが一階部分にあり、作品展示やインスタレーション、ライブなどが行われる文化的複合施設なのです(この説明が不適当だったらごめんなさい)。それにしてもびっくり!こんな巡り合わせもあるもので、なんと丁度、11月1日が3周年とのこと。私たちの展示期間中はAMP cafeでAMP 3rd anniversaryも行われるようで何か起りそうな予感が。とにかくおめでたい!!!
ぽんぽこぽん。(勢井) 

自分を戒める、それは自戒


 長らくお待たせ致しました。皆さんお待ちかねの更新ですよ!待たせたな。
待つとか我慢するとか、大切なことだと思いますよ。僕はこの便利な世の中であえて短くもないブログを書くのは、twitterなどで自分の思ったことすぐにつぶやいてしまう(しかも大体がどうでもいいこと)ことが主流の世の中に対するささやかな抵抗でもあるのです。
 まあ、そんなことはどうでもいいんですけど、お久しぶりです、最近思わぬ所で意外とこのブログが読まれていることを知り恐縮しきりの山中です。
 ただ、全くと言っていいほど反応(コメント)がないので、自分で思っているほど面白くないのか?笑。といったことが頭をよぎったりしますが、そんなこと知ったことではありませんので、もうちょっと書かせて頂きます。
  今回まじめにいきます。ただ、書く前に言わせていただきますが、今から書くようなことはほんとはあまり書きたくないんですが、自戒の念を込めて書くことですのでご容赦下さい。読むの辞めるなら今ですよ。笑 では、いきます。
 ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、ここのがっこうという気鋭の若手デザイナーが主催し、主にファッションを教えている場所がありまして、基本的には勢井が通っているのですが、僕も時々プレゼンなどに参加させてもらっています。最近はここのがっこう出身者がIT’S#9で日本人として初めてcollection of the yearを獲得した影響もあってか、メディアへの露出も増加して認知度が上がり、生徒数も増加する一方です。興味をお持ちの方はgoogleなどで検索してみて下さい。
 ここのがっこうは所謂日本式ファッション教育から脱却し、ファッションデザインの本質を追求していくスタイルで進められ、僕自身は参加回数は多くはありませんが、参加するたびに色々と考えさせらる所があり、週一回とはいえ、なかなか有意義な場所だと思っています。
 先週も参加させて頂いたのですが、例によって、自分の考えの甘さを感じることがいくつかありましたのでそれについて記述します。ね、まじめでしょ?
 今回感じたことは大きく3つあり、またすべてが同じこととも言えます。
まず1つ目は、世界基準の認識と理解です。自分達がどのレベルの作品を作らなければならないかという最低限のレベル設定があいまいなままでは世界に向けて説得力のある作品は発信出来ないということです。それについてなんとなくわかってるつもりではいましたが、メディアに露出しているものを見るときに、このレベルのものを自分達も作らなければならないという視点で見ていたかと考えると、迷わず肯定は出来ませんでした。ここでいうレベルは総合的なレベルのことで、発想やアイデアの独創性もさることながら、ものとしてのクオリティも全てを含めてのレベルを常に世界基準の意識を持っていなければならないということです。
 例えば、中田英寿は高校時代からイタリアにいくためにイタリア語を学び、日本でプレーしていた時から常に世界基準のプレーをし、チームメイトにもそれを求めていた。などといった様なことです。ただ、僕の中の認識は、そういったことを事実として知り、一般論としてこのことを知っていたという段階であり、ここで問題なのは当事者意識が希薄だったという事なのです。
日本にいようが、海外に行こうがやらなければいけないことは変わらないし、場所なんて基本的には関係ないはずですから。
 これに関連しての二つ目なのですが、プロフェッショナルについてで、何をもってプロと為すかには人それぞれ考えがあるでしょうが、要は、これも意識の問題と言っていいのではないかと思います。確かに、それで飯食ってなかったらプロじゃないという意見もあるでしょうし、それは勿論正しいと思います。ただ、サラリーマンや公務員が全員プロかと言ったらそれはかなり疑わしい。僕自身、今まで惰性で仕事をしている人たちを腐るほど見てきましたしね。客観的にプロかそうじゃないかということとは別に、プロ意識を持って何かを為し得るかが、まず重要ということです。しかも、これは最低限のことです。
 自分は客観的に見てプロじゃないから、この辺まで出来ればいい方だという甘えは無かったかと自問したときにそんなことはないと現段階で自信を持って言うことは出来ません。人より、ファッションやその周辺のことについて人より考えているという若干の自負はありますが、まだまだ全然足りない。
  そして、三つ目ですが、これがここ最近よく感じているのもので、自分が主体となったときの客観性です。
 僕はこれまで、物事を客観視することに対して、比較的自信を持ってきましたが、自分が作り手(主体)となったときに、その状況を客観的に見ると言うのはなかなか難しいと感じています。内にいながら外から見る。自己批評性を強く意識し、客観的視点を確保しながら、しかし、オリジナリティのある良い作品を生み出すというのは非常に難しく、さらにそれを継続して行かなければならないのですからこれはもう至難の業ですな。ただ、何かをつくろうとする以上、これは備えていなければならない、これも最低限の要素であるとも思います。
 長々と書いてしまいましたが、要するに、まだまだ甘かったんだよね僕は。ということです。笑。笑い事じゃないけどな!
  今以上に様々なことを知り、考えながら、それをファッションに還元しなければならない。それの繰り返しなんだろう、きっと。
 まだまだやめたくないし、やめられないからね。
  明確なヴィジョンと信念を持って、少しでも見る人、着る人に響くものを、という一番当たり前のシンプルでスーパー難しい結論。びろーん。
 ただ、やります、僕たちは。

終。

2011年8月28日日曜日

秘書的補足とコマーシャル


 日曜日の夜ということで、あなただけこんばんは。悲しみよこんにちは。そして武器よさらば。(まだ聴いてないんですか?菊地成孔の粋な夜電波。早く聴きましょうね、日曜の夜どうせ暇なんだから。笑)
 東高円寺界隈で「性格悪くて、いいのは顔だけ」でお馴染みの山中です。
ここ最近の怒濤の更新ラッシュがうれしくてたまらないでしょ?そうでしょうね。更新の頻度が高くて、まあなんて言うんでしょう、特に書くことがありません。
 勢井が先ほど更新した夏の思い出特集ですが、ただの帰省回想録などではないのですよ。なんと香川、徳島の部分に関してはすべて私不肖、山中も勢井様の秘書兼通訳として同行しておりまして、同じものを見聞きして楽しんだ上に、実家に泊めて頂き、美味しいご飯とお酒をこれでもかといただき、その上、かわいいワンコまで可愛がり、まるで我が子の様に、とまではいかないまでも勢井様のご両親様に可愛がって頂きました。まあ、なんということでしょう。身に余る光栄とはこのことですね。ありがとうございました。いいですよ、徳島県。
 これを書いている隣で「くどいな〜」とか「それはやりすぎ」などとちゃちゃをいれられています。勢井様すいません。
 ほんとに書くことがないので、友人の広報活動でもしてみましょうかね。
現在発売中のtokyo graffitiという雑誌の魂のポエムという企画に友人(別に仲良くないけど)が掲載されています。もぬけものというバンドで活動しておりまして、これがなかなか面白い。特に気にならないと思われますが、コンビニなどでふと思い出したらペラペラとページをめくってみてください。
そして、兆が一、ライブを見てみたいと思われましたら、勝手に行ってください。そして勝手に帰って下さい。
 ほんとは書きたいことなど吐いて捨てるほどありますが、また今度にします。それではまた。



追伸
 昨夜、このブログをこまめにチェックしている方がいるとの一報を受けまして、実はそれがうれしくて、ついつい更新してしまいました。コメントしてもいいんだよ。
 また対談形式での更新は次回に延期しますでご了承ください。

おとなのスーパー(絵)日記 2011 summer ver.

夏休みの宿題で絵日記が出てた学年てあった。
私は夏休みの宿題を最後の日に猛烈スパート!ていう学生ではなかったけど、日記の宿題はまとめてかいてた。まとめてかくから脚色された「あの日」が出来上がって、なんだかなあなんて思いつつの満足感がありました。

今年はこのばしょで、「あの日」を作ろうと思います。絵じゃなくて写真ぺたってできる。
なんてえ便利な世の中だ!てやんでい(スカイツリーができてから東東京の物件がキテるらしいのでお探しの方はぜひ)
帰省中のことが中心になってしまうけど、夏の暑いのが苦手で出不精の気があるわたしにとってはこれが精一杯。

帰省初日、早朝に徳島駅にバス到着。しかし徳島駅では降りず次の高松駅で降りる。高松市美術館に行くのです。うどーんと思い観光案内所でパンフ探す、意外にもうどんを推していないことが判明。四国一の都市、さすが。よゆう。

美術館に向かう途中、イケてるバー発見。りぼん◎

商店街がながーいのです。ちゃんとアーケードだし、夏の日差しからずっと守ってくれるもんだと安心してたら、竹清という人気うどん店は商店街の果てからまだすこし距離があり、かんかん照りのなかタンクトップで歩いたため、夕方徳島の実家に戻ったときには肩が赤くなってぶつぶつができて痛がゆい。(うどんおいしかった)
 ※高松市美術館に観に行った「幽体の知覚」に関しては感想かけません。軽々しく良かったーすごかったーなんて恥ずかしいし、でも言葉にするのはもったいない。できるかどうかも怪しい。見終わった後、ため息でました。割愛。

一気にいくぜ!徳島!

海。何年ぶりかの海水浴。この写真のすこしあと、正体不明の虫に刺され右足にミミズ腫れみたいのが2本入る。海の家のおじさんに、クラゲに刺されたーと嘆いたら、虫じゃ!と言われた。めっちゃ痛いけど、そうかーそうなのかー
 
 実家のゴーヤ(収穫時期失敗、このあと腐って捨てられた)

ゴーヤ二代目(たべた◎)

勢井家のアイドル軟体オリーブ。

 きたよ!阿波踊り!!
香川とは違い徳島はPRが下手です(観光に対しての熱意があまりない気がする)が、阿波踊りの時だけは人が来てくれます。いちかけーにかけ、さんかけてーしかけた踊りはやめられないっ、ごかけ、ろくかけ、しちかけてーやっぱり踊りはやめられないっ◎
すだちくん。わたしが小学生のときにはもういたので、すだちくんはきっとゆるキャラの先駆けだと思う。まりもっこりよりも早い。だって口、三角やもん。
 
鳴門の渦潮。観潮船に乗って見に行ったのは初めて。思ってたよりもすごく迫力があって渦につっこんでくと船が結構揺れるのです。渦の音、ごおおおって。
船着き場の待合所の二階でなぜか魚を飼ってる大きめの流れるプールがあった。ちょっとよく分からなかったけど、愛すべき徳島。
 
東京戻ってからはとこさん家で飲んだことと昨日大学の同窓会?みたいなのがあったこと。(主催のごうさんは同窓会って言ってなかったからたぶんちがう)
シャムキャッツのよりくん(だいたいさっさと寝始める、最近歯が折れたらしいので折れてないときの写真を残しておこう!)
この日はよりくん、たまちゃん、わたし共々、とこさん家に泊まらせてもらった◎

とこさんから後日送られてきた秘蔵P姿(とこすん、パジャマありがとう)で、〆よう。ムキっ
たこ焼きたべた◎そば食べた◎ゴーヤチャンプルー食べた◎屋久杉飲んだ◎たまちゃんの誕生日お祝い◎ビール飲んだ◎夜更かしした◎

同窓会は昨日、、もういいや。
 
今年の夏もやっぱり思ったこと → 夏のビールは美味しいな!
 
ーおしまいー

 
 山中×勢井の対談形式はそのうちやりまーす。

2011年8月26日金曜日

すぺしゃるなご報告


 毎年、こんなに長い夏休みは今年が最後だなぁ、きっと。などと考え、毎年それをあっさり更新してしまいます。
 こちらの日記を更新していないうちに、大物芸能人が闇の世界に連れ去られ、今や恒例行事と化した首相交代が行われようとしています。そしてたった今、ゲリラ豪雨が我々の世田谷を襲撃しています。
 どーも、普通に話していると全然そんなつもりないのに上から目線だと言われ、(笑)それはきっと教師の親父の影響が強いんだろうなぁ、きっと。ずっと似たくないと思ってたのに血は争えないのね。などと考えてしまう、山中です。
 えー、皆さん、待ちに待った展示会の予定が決定しましたよ。笑
「へぇー、そんなことするんだぁ、それ誰が来るの?」
「えーとー、家族とかー、数少ない友達とかー、、、、、、」
まぁ、家族は来ないでしょうね、はい。
現段階では、ほとんどビジネス的なことは考えていないので、まぁそこそこ面白いものはご覧に入れられるかと思われますので、お立寄り下さい。(どうせ土日とか暇してんだろ。笑)

日程 111日〜117日(展示期間は3日〜7日を予定)
場所 高円寺ギャラリー TEL 03-3315-3677

DMが出来上がったら、それと共にまたお知らせさせてもらいます。
何かご不明な点などがございましたら、お問い合わせください。

〈追伸〉
次回の更新は山中と勢井の対談形式で更新してみようかと思います。
お楽しみに。

2011年8月7日日曜日

AGAP


毎度のことながら更新が遅れに遅れて今にいたっているわけですが、書いておかなければならないことがありましたので、久々に書きます。
 というわけで、あなただけ、こんばんわ。山中俊太朗です。(この言い回しをわかる人が元々少ないこの日記の読者の中で何人わかってくれでしょうか。笑)
 さて、冒頭の書いておかなければならないことというのは、7/31に恵比寿リキッドルームで行われた、DATE COURSE PENTAGON ROYAL GARDENのライブを観に行ったことです。同バンドは、リッキドルームのバンド紹介によると「ジャズミュージシャンの菊地成孔がアフロ=ポリリズムを世紀末からゼロ年代の東京のクラブシーンに発生させ、持続させたファンクバンド。ポリBPMによるフェイズの深化、マイルス・デイビスのエレクトリックファンクと菊地雅章マナーによるマイルスを、クロスリズムのアフリカ的な実践によって、さらなる進化を世界で唯一実現したというバンド」ということです。
 私が菊地成孔という人を知ったのは、彼の文筆家としての仕事である、Fashion Newsにおいて連載されている「服は何故音楽を必要とするのか」というファッションショーにおけるウォーキングミュージックについての考察です。
 初めてそのコラムを読んだとき、まずその膨大で圧倒的な知識に由来する文章の難解さと圧倒的な読みにくさ、笑(注釈が多いため)に衝撃を受けたのでした。音楽的な考察とはいえ、ファッションについて書いてあるにも関わらずそこに書いてあることの半分も理解出来ないという始末で、私の高い鼻をデコピンで折られたような気持ちでした。折られたとはいえ、私は理解出来る、出来ないに関わらず、読んで知った気になるものより、書かれていることについてもっと知りたいと思えるものを読みたいので、いろいろな意味で良いコラムでした。そして、気になり始めた頃にちょうど、「情熱大陸」に出演しているのをたまたま見たときに、自分のタイミングの良さに驚きました。笑(そいうことってあるよね?)
 ただ、彼は何者かと問われれば、ジャズミュージシャンであったわけですが、エレクトロやロックがカッコいいと思っていた20歳前後の山中の興味はあまりジャズには向くことはありませんでした。これは愚の骨頂だというのは過言ですが、もっと早く聴いておけばよかったという後悔以外の何者でもありません。(しかし菊地成孔の言葉を借りれば、人は悔いを根拠にその後の人生を楽しく生きていく生き物だそうですので、そうします。)
 彼は、今現在3つのバンドで活動しており、それぞれテーマも編成も異なりますが、すべてにおいて素晴らしい作品を送り出しています。
 その中でも今回観に行ったDCPRGは私が好みの音楽を演奏しているバンドで、バンドのテーマや実験精神溢れる音楽性は私の中では彼が率いるバンドの中で群を抜いております。
 緊張と緩和という言葉で言い表すと陳腐な評論家の言葉のようになってしまいますが、私には音楽的に詳しい評価を出来る知識はありませんので、もうあれは聴かないとわからないとしかいいようがありません。ただ、あの複雑で緻密でありながらも、統一感を感じてしまうのは不思議な感覚であり、それが彼の才能なのでしょう。その場を完璧に統制しているにも関わらず、それを感じさせないのは彼の人間性ゆえのものでしょう。
 これ以上説明するのは無粋ですし、何より面倒なので気になったら、皆さんの大好きなYouTubeWikipediaで調べてみてください。
 今回何が言いたいのかといいますと、菊地成孔の何がすごいかということです。そのジャンルレスな活動や多才さはもちろんですし、そこに異論は微塵もありませんが、私にとっての彼の凄さは、自分の作品について自己批評的な視点を持ち、それを実践していることなのです。これは様々な表現活動が存在しますが、出来ている人はなかなかいないのでないかと思います。(ファッション界においては、このレベルで行っているひとはほぼ存在しないのではないでしょうか。)
 作品を通して自分の考えや意見を表現することが、プロのアーティストやクリエイターだという意見があるでしょうし、そう言った意見が間違っているとは思いません。ただ私は、自分の作った作品について、どう感じるかは見た人次第といっても、最低限の説明責任はあると思いますし、私は最低限では到底満足出来ません。
 これは菊地成孔に限ったことではありませんが、自分が為すべきことを理解し、そのことと真摯に向き合っている人は例外なくいい仕事をしているという事実はあると思います。これは私たちのような無名の人間にとっては唯一と言ってもいいであろう救いとなる事実ではないだろうか。
 そして、それゆえに私たちは、必ずいい仕事をすることを約束する。
ファッションでだ。笑

P.S 今回特にまじめですいませんでした。
山中

2011年7月20日水曜日

OH!ぴ-が-

おはようございます。

今日、byProductsの作品をホームページにて発表しました。みてみて◎


byProductsはLeucadendronの制作過程で生まれては消えていく無数のアイディアを拾い上げ、Leucadendronのメインコレクションとは別に、不定期で発表し、販売していきます。ということで今回は4点の洋服を、高円寺 光 で取り扱ってもらいます。今日中に納品したいと思うので、よろしくね、お願いします◎

byProductsは私たちにとって実験的な試みです。メインのLeucadendronの制作過程から拾い上げていく作業は、デザインすることとはまたすこしちがった位置にある。変化する感情とか迷いとか、そういうものを全部入れるような方法で制作してるし、でもアートピースではなく商品にするということ。
でも主役はLeucadendronです。どすこい。楽しみにしててね。


そう!今回yuyuさんにモデルをお願いしました。彼女はたいへんな曲者です。来る途中、彼女の靴がミラクルな壊れ方をし(あんなの見たことない!)、かみなりよかみさまよー



そして商品を取り扱ってもらうは高円寺にある洋服店です。古着屋さんとセレクトショップが合体。TOKOさんには色々お世話になっています。すごく刺激的な唯一無二の空間が店内にぎゅってあるので、行くと、きっと楽しいです。

洋服はやっぱり実際触れて、試しに着てみて、をするのがいい。ブランドについてお店の人に聞いて、わ!って思えば調べて、そうするとかわいいとかかっこいいだけじゃないプラスアルファの部分が見えてくるのがおもしろい。


いろいろぼぼんと広がるふくらむ触れ合いを、と思います。

2011年6月26日日曜日

37度2分

 前回の更新からちょっとばかり空いてしまいましたが、更新を待っている方などこの地球上に果たして何人いるのか。少なくとも僕は1人しか知りませんが。
今後は人類の人口増加率を超えるくらいの急速な増加を見込んでいる次第です。
申し遅れましたがどーも山中だ。
書くためのネタがないし、ブログを更新するするために何かするみたいな本末転倒なことに疑問も持たずにブログを書くようなことは死んでもしたくないため遅れました。
ただ、今週末はなかなか充実しておりまして、こうして書いている訳です。
まず、昨日ですが、六本木ミッドタウンにあります21_21design sightで行われている、『倉俣史朗とエットレ・ソットサス展』に出かけて参りました。倉俣史朗氏は以前から好きなプロダクトデザイナーで、一度作品を直に見てみたいと思っていた方でしたが、やはり、素晴らしい作品が多く非常に満足でした。この展示のサブタイトルが「夢見る人が、夢見たデザイン」なのですが、倉俣氏の作品は機能美やデザイン性の高さを超えて、観る人をワクワクさせるような何かがありました。プロダクトやインテリアのデザインとファッションのデザインでつくるものの違いはありますが、この感覚は何かを創る人にとって常に考えなければいけないことではないかと思います。
倉俣氏の作品が素晴らしかったことはもちろんですが、今回はそれに勝るとも劣らないくらいの作品があったことに、勢井ともども感激しっぱなしなのです。それがエットレ・ソットサスのカチナを題材にした作品でした。カチナはネイティブアメリカンの信仰する超自然的存在な精霊だそうで、ソットサスのドローイングをもとに忠実にガラスで再現されたそれは、ユーモアに富んでいながらその完成度は恐ろしく高いものでした。スタッフのイケメンお兄さんによるとセット販売されているそうですが、うん千万円の値がついているようなので、5年後くらいの誕生日プレゼントにリクエストしようと考えています。
招待券と補足情報を優しい声で囁いてくれた売り場の國塩さん、ありがとう。
次は勢井ちゃんの番だよ〜。よろしく。

明朗太朗の小憎たらしい作文にかわって。きのうに続いてきょうはオペラシティでホンマタカシのニュー・ドキュメンタリーに行ってきました。やまがたさんが日本のファッションフォトグラファーといえば!そういえばホンマタカシの展示が今日で最後だよ見た方がいいよ、と言っていたので、いざ行ってきたのです。日本の雑誌のファッションフォトって、西洋のファッションフォトに習った、しゅっとした外国人をそれっぽく撮ってるものが多くて、日本なのに外国風で、憧れてますっていうのが溢れ出てて、でもそれってどうなの?結局はわたしたち買う側、見る側が、そういう”かっこいい画”を求めてるからなんだけど、すこし考えれば虚しいことだなあって思う。日本のイケてる写真は、艶かしくて、濡れてて。そういうのが日本のファッションフォトを強くしていける進化させていける大事な要素だ、という教えを、今日の展示で実感できたように思います。
ホンマタカシさんは、ファッションフォト出身で、ファッション以外にも色々と撮っている写真家ですが、ロンドンのファッション雑誌で仕事をしていたので、向こうのも知りつつで、なんだろう、行ったり来たりでいい具合にしっとりじっとりがあって、ユーモアがある構図で、という感じでした。ほどよい。かっこつけすぎてないし。もちろん、爆発してるのも大好き(志賀理江子さんとか)なんだけど。

しかし、ホンマさんの令嬢を幼少から記録しているTokyo and My Daughter、あどけなくて、目が強くて、でも撮られ慣れている感じがあって色気を感じる、なんかよかった。少女の彼女ばかり入ってきて、あとでパンフの解説読んでも、手遅れだった。
Trails 素敵だった。真っ白の雪の上に、赤いしみ。しみ込んだ赤いものが足跡で押しつぶされていて、その上にまたうっすら  !      !       !         !            !

あしたまであと3分

2011年6月10日金曜日

右側で ぱちっ

なかなか思うように進まないのは常である。
でも占いには行かないぞ。

昨日じっくり、ふたりで考えました。あるべき理想の流れについて。

作業していると、知らぬ間に感情的になってしまい、そういうことを忘れてしまって内に向かってしまいます。いけません、ぬ。


話はかわって、
友人と四月に屋久島に行った時のこと。縄文杉を目指して初登山をしました。

登山をなめきっていたので、準備は靴と雨合羽のレンタルのみ。当たり前なんだけどレンタルってださい。ふたり揃うと赤と青で、おおお!(他の登山者の女子たちは山ガールでかわいくしてました、おおー)




なにこれ。

2011年6月3日金曜日

はじめましてこんにちは

はじめまして、こんにちはこんばんは、おはよう

きょう、Leucadendronのウェブサイトを公開し、ここでにっきも始めました。
きょうは晴れ、光線き・た・ね
眩しい日中でした。
夕焼けの、熟れたみたいなみかん色が水道局の敷地の向こうの方からはみ出てて、おおお、と思いました。
良い出発ができたと思います。


わたしたちの
初コレクションを今年の夏の終わりに行う予定です。
詳細は追ってホームページでお知らせします。
ホームページみてね!