2011年12月31日土曜日

2011.12.31


 2011年も残り時間となりました。今年を振り返って総括してみようかと思います。おっと、毎度申し遅れております、またまた山中です。
 もう、ここにはおそらく私しか書かないので来年からはもう名乗るのを辞めます。
 TVショーでは、震災関連のニュース特番などがしきりに放送されています。きっと、2011年のことは2011年で終わりにしたいのでしょう、きっと。このまま今回の震災が浮き上がらせた現代日本の歪みも震災自体とともになし崩し的に流れていってしまったら、(おそらくそうなるけど)もうこの国は終わってしまう。早くこの国から脱出しなければ。
 こんな世間のインテリの方が言っているようなことを言っても仕方が無いのですが、ちょっとまじめなこと言ってみたい年頃なのでご容赦下さい。
 ただし、誤解を恐れずに申し上げると、私は学生の時分から震災と言わず、社会に対して大きく作用する抗いようの無いような強大な力とそれに伴う大きな変化を心のどこかで希求していました。革命などというものは起りそうも無いこの国において、大きな変化はそういった力によってしか起こりえないとどこかで感じていたからです。
 もちろん、震災で被災された方、亡くなられた方に対しては心からお悔やみ申し上げますが、そういった方の犠牲を無駄にしてはならないという気持ちでおります。
 ただ、震災前から、今の日本にどうしようもない閉塞感を感じ、自分もそれを打開する力の一端を担いたいと思っていましたし、その手段として私はファッションを選択しました。
 そして今年、私たちは小さな、小さな一歩を踏み出しました。ここでは書きませんが、閉塞しきったように見える日本のファッション界において、新しさとは何かを考え、あの時点での答えを展示会で出しました。
 自分達としては満足のいくものではありませんでしたが、ただ、新しさといういみでは、1mmはあったと自負しています。
 世の中に蔓延するクソ面白くないファッションに対して、ほんのわずかなカウンターにはなったと思います。ただ、カウンターはきっちり当てていかなければなりません。そのためにカウンターの威力と精度をあげなくてはなりません。これは来年の課題です。
 震災とともに今年の大きな出来事として、中東、アフリカで起った独裁政権を打破した革命の連鎖です。インターネットの普及が主な要因としてあげられており、それは間違いない事実ですが、それはあくまでも手段の問題です。
その根本には、変化を求めた一人一人の力があったはずです。
 ダーウィンは、『最も強い者が生き延びるのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残るのは、変化出来る者である』と言っています。
 現状を分析し、変化を求め、環境に適用する事でのみ、新しいものが見えるのだと思います。
 菊地成孔は2011年の震災後のこの状況をalter warと呼び、不謹慎ながら
「非常に充実した、爽快で戦闘的な気分になった」と言っています。そして、「生きる事が、死の自覚によってのみ燃え上がるというのは知っている」とも。
 私は、これを震災前には、母が他界した際に感じました。そして、今年再びそれを感じました。
 来年は今年あの日以来私の中で止まったようだった時計の針を進めていく年にしなければならないと思います。
 あらゆる意味で正念場は、これからです。
 2011年お世話になりました皆様にこの場で心から御礼申し上げます。そして、2012年が一人でも多くの人にとって、そして私達にとって実りの多い年となりますように。それでは、また新年。

追記
現在私の携帯が死んでおりますので、もし何かご連絡の際は、ドメインを@i.softbank.jpにして送ってください。

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