2012年3月6日火曜日

DCPRGのニューアルバムのジャケットがダサイ件について。


 最近更新が滞りがちなこのブログですが、とくにご報告などもないので仕方ないですね。更新していないと言ってもたまには書いていまして、このところ真面目にも程があるくらいな文面が続いてしまい猛省中の山中です。
 とは言いつつ、性根が腐りながらも、割と真面目なので書くとついつい引力に負けて堅苦しい文面になってしまうのです。ほんとはもっとポップで軽くいきたいんですけどね。
 そんな訳でね、例に洩れず堅いんです、今回も。笑
 今日、明日あたりで2012awのコレクションが終わり、一通り気になるメゾンのショーをネットでサクッとみたわけですが、「んー、良いんだよ、すごく。ラグジュアリーで、エレガントでいいんだけど、なーんだかなー。」みたいな感じ。ほんとにすごいんだけどね。まぁ最近の感想大体いつもこの調子。
 で、もう自分でも嫌になるほどよく例え話に登場してくるあのブランドですよ。海外のジャーナリストはcommeって略してるらしいことが最近分かったcomme des garcons。腹立つけど、良いんですよね、これが。   前回が個人的にはあまり良くなかったと思っていたので、余計に今回は素晴しかったように感じてしまった。
 Comme des garconsと言えば、前回の日記で、雑誌penでの特集が良くないと勢いで失望混じりにかきましたが、あれはあれで良かったんでしょうね、きっと。と今は思っています。売れ行きも絶好調だったみたいですから。ただ僕が求めていたものでは無かったというだけのことです。pen如きに期待してしまった僕がいけないんですね。
 話しを戻しましょう。今回のギャルソンは、2Dつまり超平面服。Style.comのレビューによれば「世の中が3Dを志向するなら私たちは逆に行くわ。ふんっ。by川久保玲 」ということらしいです。笑
 WWDにちょっとおもしろい記事がありまして、向千鶴という人が書いたもので、ファッションは「わかる」ものなのかというタイトルです。この記事の中でこの人は、ファッション業界以外の人と仕事すると「私ファッションわからないですから」と困惑したような顔するということを端緒として、日本においてcomme des garconsの登場以降ファッションの世界に見えない知的な「階級」を作り出し、そのことが上記のような「私、ファッションわからないですから」という困惑を引き起こしているのだと言っています。わからなくはないけど、ちょっと論理的な飛躍は否めません。笑 ただ、「フロントローに座る人たちを観察すると、恐らく私と同じように「わからない」であろう、少々呆けた表情の人が特にショーの後半は大勢いました。しかし、フィナーレでは鳴り止まない拍手が続いたのです。拍手を続ける人たちは「わかって」いたのか、それとも「わからない」難問を投げかけてくる、そのこと自体を賞賛していたのか、正直謎でした。そして、その拍手に「盲信」の匂いを感じて、私は反発を覚えました。」としていることには共感するところがありました。それは、comme des garconsに対する盲信的な礼賛に私も違和感を感じているからです。Comme des garconsにも良いときと、そうではないときはあります。もはや、伝説と化しているcomme des garconsのクリエーションはファッション界以外の人たちからも賞賛の声が上がるほど。いいときにそれが起るのはファッションにとって本当に素晴しいことですが、良くないときにも反応はあまり変わらない。もちろん、何をもって良いとするかには、多くの基準があるでしょうから、一概には言えませんが、その雰囲気には何か胡散臭さを感じてしまいます。鉄の女川久保怜は、ヤマモトヨウジ氏のように裸の王様にはなることはないでしょうが、comme des garconsを取り巻く多くの言説はあまり信用出来ない事は確かだと思います。
 今回のショーに関しても、ファーストルックを見た瞬間に良いと思った私も、もちろん全てを「わかった」わけではありませんが、しばらく落ち込むほど頭に残りました。ファッションに限らず本当に素晴しいクリエーションは人を眠れないほど考えさせます。それは、わかりやすい表現がもてはやされる昨今の日本においては強烈なカウンターとなっています。良くも悪くも、まだしばらくはcomme des garconsの呪縛は払拭できそうにありません。これを乗り越える事は特に日本でファッションに関わる以上容易ではありませんが一つの目的たりえることに違いありません。